40年前の昨日日航機が墜落520名の尊い命が失われた。

1985年8月12日その日は妹と7歳の姪のかおりは東京にいた。

二人は大阪に帰るため日本航空123便を予約していた。

午後7時、私は大阪空港で二人の到着を待っていた。

ロビーで待っていると突然緊急情報が流れ「日航機123便消息断つ」

私は茫然として立ち上がることも出来ません。頭がパニックに・・・・・

携帯電話もない時代、公衆電話は長蛇の列、やっと電話に辿り着き自宅に電話を・・・・・

「和子とかおりの乗った飛行機が・・・・・」声が震えうまく話せない。

女房が「あなたが迎えに出た後和子ちゃんから電話があってかおりが夕方から高熱が出て今病院にいる、今日は帰れない」

私は安堵と脱力感でその場を動くことが出来なかった。

かおりが高熱を出さなかったら123便に・・・・・運命を強く感じる。

その後妹はタイのバンコクに、かおりは47歳3人の子供とバンコクで暮らしている。

和子たちがキャンセルしたことで123便に乗れた人がいる。

本当に人の運命なんて解らない。