済生会千里病院での三ケ月に一度の肺疾患の定期検査。

採血とレントゲンを済ませて、診察までの一時間余り病院近くのショッピングモールで女房と待ち合わせて中華料理店「聚楽」でこの店の看板料理のチャンポン麺+餃子での昼食です。

右肺が真っ白になる強い肺炎、一時は死を覚悟するほどの重症でした。

あれから間もなく二年、今は肺炎の兆候もなく、血液検査も正常でした。

主治医の先生とは入院中「もう死んでもいいから退院させろ」「首藤さん、今退院したら死んでしまうで」

「死んでもいいと言ってるやろ」と困らせる最悪の患者でした。

でも、退院後は仲のいいお友達に、今日も「おおまだ生きとったか」

「ああ、うるさい医者が主治医だったので生きとるわ、死ぬまで面倒見てや」(笑)

実はこの先生、専門は免疫内科、呼吸器科の医者ではないのです。

女房が呼吸器科の先生に変えてもらおうかと言ったのですが、私が「松浦先生でいい、あの先生なら助けてくれそうな気がする」

言い合いばかりしていましたが、なんとなく私と波長が合うように思えたのです。

入院中は何度も病室に来て「どうですか、息苦しいのは少しは楽になりましたか」

私が「苦しいわ、まるで溺れてるみたいや」当然です血中酸素濃度は83しかないのですから。

正常な人は98以上だから、息苦しいはずです。

先生のお陰で5日目あたりから息苦しさもなくなり、後は肺炎が徐々に収まるのを待つだけです。

16日間の入院でしたが、その後二ケ月間は自宅療養は私には辛かった。

私はコロナではなく、細菌性肺炎でしたが、おそらくコロナの重症患者と同じ症状だったと思います。

今でも血中酸素濃度は96以上にはなりませんが、日常生活、仕事には影響ありません。

無理さえしなければ今しばらくは仕事が出来る身体に戻っています。

診察室を出る時に「生きとったら又来ます」松浦先生は笑いながら「元気な首藤さんを見ていたら嬉しくなるよ」と手を振ってくださいました。

専門外の先生でしたが、私は最後まで松浦先生に診てもらうつもりです。