私が「お前も70歳を過ぎたのだから、施設に入居した方がいい、持病もあるし孤独死されたら大変だろう」
彼が「その時はお前が処理してくれたらいい」
「俺の方が長生きするという保証などない、毎週電話するのも疲れる」
「疲れるならほっとけばいい」
ここ一年あまり彼が来ると同じことの繰り返し。
これは今年3月22日の私のブログです。
私が一番恐れ心配していたことが現実となってしまいました。
誰に看取られることもなく孤独死した友を想うと悲しく、悔しさがこみ上げてきます。
変わり果てた友の姿を見た途端、心の中で「すまん、勘弁してくれ」と叫んでいました。
昨夜は友の変わり果てた姿が目に焼き付き、ほとんど眠ることが出来ませんでした。
検視官が言った「死後一週間くらいですかね」その言葉が耳から離れません。
こんな姿になって一週間も私が来るのを待っていたのかと思うと・・・・・・・・
死亡月日は定かではありませんが、遺体発見が10月19日、死後一週間程度として私は死亡したのは10月13日に決めました。
それは私の父親の命日だからです。
女房に「健の死亡日は10月13日に決めたから、親父と同じ日にすれば法事も一緒に出来るから」
遺骨もなければ位牌もない、彼の写真があったので額に入れ仏壇の横に置きました。
こうすれば毎日彼に手を合わせることが出来ます。
誰一人として親族が居ない、供養できるのは私たちだけ。
健、助けてあげられなくてごめん、我家で安らかにお眠りください。(合掌)
彼の名前は江原健、1949年9月26日生まれの72歳でした。
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