朝夕は涼しく秋の気配を感じるようになりました。

最近、人と出会うと「ワクチン済みましたか」が挨拶代わりになっています。

さて、私が抽選販売に申し込みました日産GT-Rの申し込み状況を確認すると、競争率8倍程度とのこと。

私が高額な車が欲しいのには理由があります。

1969年、私が20歳の頃車のA級ライセンスを取り、アルバイトでいすゞ自動車でテストドライバーをしていました。

当時、ベレット1600GT,117クーペ、フォローリアンと言う車でテスト走行をしていました。

そのころプリンス自動車からスカイラインGTRと言う車が発売されました。

私はベレット1600GTに乗っていましたが、すぐにスカイラインGTRに乗り換えました。

当時の価格は100万円,今の貨幣価値だと800万円くらいでしょうか。

プリンス自動車を知らない方も多いかもしれませんが、日産自動車と合併し日産プリンスになり、その後プリンスの名前が消え日産自動車になりました。

GTRを購入後、レーシングクラブに所属し鈴鹿サーキットを走り回っていました。

レースでは時速200キロ以上のスピードで走るGTRに夢中になり、ライバルの日産フェアレディ、いすゞのベレットGTは問題にしないくらいの高性能車でした。

ところが、1970年夏にトヨタのエースドライバーだった川合稔が110Rでスピン、車は舞い上がり落下、川合は投げ出され全身打撲と骨折で即死状態で亡くなりました。当時私より7歳上の27歳でした。

川合稔と言ってもご存じないかもしれませんが、奥様が石油会社のコマーシャルで「オーモウレツ」で一世を風靡した小川ローザでした。

その前には福沢諭吉のひ孫の福沢幸雄が事故死していました。(私と同年配の方ならご存じかも)

川合の事故を目の当りにした私は、大きな衝撃を受けこの日を最後にレース参加を止めてしまいました。(現場で身体の震えが止まらなかったことを今でも覚えています)

たった一年足らずでGTRを売却、しかし未練の気持ちは強く、いつかはGTRにと思い続けていました。

その後はマークⅡ,プリウス等に乗ってきましたが,GTRの抽選販売を知り永年の思いが叶えばと申し込みました。(最初のGTRを売却して50年以上の歳月が流れていました)

この歳になってと思わないこともありませんが,この歳だから買えることも事実です。

10月には当選発表がありますが、毎日神棚に当選をお願いしています。