1995年1月17日午前5時46分、明石海峡を震源とした阪神淡路大震災が発生、6400人余りの尊い命が奪われました。

あれから26年、神戸を中心とした阪神地区は見事に復興しましたが、被災者の心はまだまだ癒えてはいません。

あの日、大きな揺れで目が覚めキッチン、リビングは家具は倒れ食器類が散乱、テレビは倒れ大きな冷蔵庫は廊下に・・・・・

近くに住む母親のところへ、布団の上には大きな箪笥が横たわっていました。

母親が箪笥の下敷きに・・・・母は毎朝5時半に起床、部屋の隅で震えていましたが無事でした。

地震が30分早く発生していたら命を落としていたかもしれません。

明るくなり,幸い壊れなかったテレビに一生忘れない映像が・・・・・

阪神高速道路神戸線が下を通る国道43号線に倒壊、まるで蛇のように横たわっていました。

その日私は静岡県の農協で研修会でした。

電話で中止をお願いしたところ担当課長から「この程度の地震で中止なんですか」

「何がこの程度の地震なんだテレビを見ろ」と叫んでいました。

神戸、西宮に親類が多くいます。

救援物資を抱えて神戸へ、西宮北口からは全面ストップ。

歩くほかありません。神戸に入るとそこは地獄絵図のようでした。

ほとんどの家屋は倒壊し、子供がいないと泣き叫ぶ人、がれきを掘り起こし必死で家族を探す人、ライフラインは全てストップしています。

多くの人が家屋の下敷きになり圧死、神戸市長田区では大規模な火災が起こり多くに人が犠牲になりました。

何度となく足を運んだ神戸、当時私は神戸に行かなかったら良かったと後悔しました。

何故なら、毎日悲惨な光景が頭に浮かび睡眠障害に陥ったからです。

今でも亡くなった子供を抱え泣き叫ぶ母親の姿が目に焼き付いています。

これから先に発生が予測される南海トラフ大地震、被害は阪神淡路大地震の比ではないとされています。

私にはどうか発生予測が間違いであるよう祈るしか術がありません。